第6話 日本へ帰国
<はじめてゴルフスイングのことを考え始める>
ヨーロッパツアーではテンポラリーメンバーとしての資格がまだありましたが、
そろそろ日本でプレーをしてほしいというスポンサーの依頼もあり、
日本ツアーへの出場権争いの試合を受け上位に入り、
日本に帰国となりました。
内心は、まだ海外の試合に未練があったのですが・・・。日本は母国なんですが、これまで数年間日本に居座ったことがないので
なんだかちょっと変な感じがしました。さて、日本に帰ってから私のゴルフにとっていろいろと変化が
起こることになります。これまでアメリカやヨーロッパではほとんどゴルフに関しては
自分で考え、自分で工夫し、自分の感覚がすべてという感じで
ゴルフをしていました。もちろん、誰も私にあーしろ、こーしろと
スイングのことで言う人もいませんでした。私のスイングは、けっして理想的なスイングではなく、どちらかというと
変則スイング。それでも、まっすぐに自分のターゲットにボールを
打つ自信はありました。誰よりもスコアにする自信がありました。ところが・・・
日本の試合に出ることになり、日本のトッププレーヤーの人たちと
身近に接する機会も増え、お互いのスイングことを話し合うことも
多くなってきました。高い弾道でコースを攻めていくマッシーと一緒にプレーをしたり、
日本一きれいなスイングをする湯原信光さんとプレーをしたりしていると
今まで他の人がどんなゴルフをしていようと気にならなかったのが
ちゅっと、私とは違うなー、と意識するようになったのです。もちろん、先輩ゴルファーの人たちも
プロの世界では今の泰信のスイングじゃ厳しいからこうしたほうがいいよ、
とアドバイスをくださることも多くなりました。私は、やっぱり強くなりないので、ワンランク上のプレーヤーになる為にも
はじめて自分のゴルフスイングをのことを考え、
変えていったほうがいいのだろうと思うようになったのです。
ただ、この時点でするのがよかったのか、
まずは闘ってみて本当にこれではだめだと自分で実感して
はじめてスイング改造をするほうがよかったのか、
本当の答えはわかりません。ゴルフの難しいところです。<ゴルフスイングの追求がはじまったとたん迷路入り!?>
本格的に日本ツアーのスケジュールがはじまる前に
私のはじめてのゴルフスイングの探求がはじまりました。
しかし、冷静に考えてツアーがはじまる間際でスイングを変えるのは
自殺行為でした。アメリカにいて築いてきた自分のゴルフスタイルを
崩すことになってしまいました。それからの数年は、上手くなりたいがために
スイングを変える。でも、そうしているうちは試合で勝つゴルフは
できない。試合でスコアにできない自分を見て、こんなはずではない・・・。
勢いと自信がなくなる。という悪循環が待っていました。日本での1年目、2年目はぱっとせず。
3年目は何度か最終日最終組で優勝争いをしたことがあったものの
どこかで自信がなかったのか失速してシードがとれず。
でも、何とか日本ツアーの2部ツアーのグローイングツアーで
2試合優勝して賞金王となり裏シード獲得。この年に、マッシーのマネージメント会社で女子プロゴルファーの
マネージャーをしていた妻・みほと結婚しました。
一緒に闘うパートナーを得て、私もやる気満々です。4年目はツアーフル出場となりましたが、ランキング68位と
シードにあと一歩足らずでシード落ち。私はこの4年でスイングのことをものすごく研究していたものの
どうしても自分のゴルフというものを作ることができずにいました。
スイングコーチも何人の人にも会い、指導を仰ぎ
トライしていました。が、そうすればするほど自分のゴルフが
見えないのです。と同時に自分のゴルフの欠点もすごく見えてきて
どうしても直さなくてはと思うようになりました。
もちろん、強いゴルファーになるためです。アメリカで作った自分のゴルフの感覚はもうすっかりありません。
何とか、あたらしい自分のゴルフ感覚を作るしかありません。
でも、それがこれほど大変なことだとは・・・。<アジアツアー転戦>
その後、気分転換にとアジアンツアーにも3年ほど転戦。
アジアンツアーではきれいなスイングをしているプレーヤーは
それほどいないのですが、それぞれのゴルフスタイルを作り上げて
スコアにしてくる選手達をみて、またある意味刺激を受けました。そこそこのゴルフができるようにはなってきました。
ゴルフも楽しくなってきました。
ここ数年間、恵まれた状況の日本でプレーをしてきたことから
少し過酷な状況でのプレーを強いられるアジアンツアーは
ある意味、必死にゴルフをすることを思い出させてもくれました。日本にいて、私に期待をしてくれた人もたくさんいて
格好良くゴルフをしようとしすぎたのかもしれません。
マッシーたちを見て、絵に描いたような惚れ惚れする球を打ちたいと
思い、この数年間それを追い求めてやってきたけれど
私の本来のゴルフは綺麗な球は打てないけど、
それでもスコアをまとめてくる、それが私の持ち味なのに、
それを否定してしまっていたのです。ゴルフはよくなりつつありましたが、
ツアーの予選会では思うように結果が残せません。
かなり落ち込みました。ゴルフは恐ろしい面もあります。
この数年間、ものすごい数のボールを打ち、生活のほとんどの時間を
ゴルフに費やしてきたものの、結果が出ません。本当に長い迷路です。ただ、どうしても上手くなりたい、ゴルフがしたい、
あの勝ち負けの戦いの中に身を置きたいという一心で
あきらめずに続けているという現状でした。そんなとき、数年前にヨネックスとの契約が切れフリーでいたとき
ある人の紹介で現在のボスと出会いました。
こんな一番悪い状態の私を応援してくれると言うのです。
そして、そのボスが私の背中を押して
君がゴルフを覚えたアメリカでもう一度やってみたらと
日本からたたき出してくれました。感謝してもしきれない話です。