第4話 大学時代ーイーストテネシー州立大学

<イーストテネシー州立大学へ転入>

まもなく2年生になろうとしていたとき、
ゴルフ部のアシスタントコーチをしていたフレッド・ウォーレンが
イーストテネシー州立大学のゴルフ部のヘッドコーチとして就任することが
決まりました。そのウォーレンコーチから、一緒にテネシーの大学にいかないかと
誘われたのです。それも、スカラシップ生としての待遇を提示してくれました。
1年生の中ではとりあえず私が一番上手かったので(たぶん^^;)
声をかけてくれたのだと思います。

イーストテネシー州立大学のゴルフ部は昔存在していたらしいのですが
ここ数年はつぶれていて活動はゼロ。そこへ、ウォーレンコーチが新たに
ヘッドコーチとして入り、ゴルフ部復活を目指そうとしていたのです。

私は自分ひとりでは判断できなかったので、
早速、川田太三さんに相談をしました。
すると、驚きの話が・・・・

「お前、イーストテネシーって誰が行ったことがある大学か知ってるか?」

「・・・・・・」(私)

「マッシーが日大を卒業してから1年間ほど留学したことのある大学だぞ。」

「え~ぇっ・・・・」と私はびっくりです。
こんな広いアメリカのそれもたくさんある大学の中から、
なんでまたマッシーが行ったことのある大学から誘いがあるの???
それもぜんぜんメジャーじゃない 大学だぞ。
倉本家の血がなんか呼んでいたのだろうか・・・。

川田さんはこれも何かの縁かもしれないから
テネシーに行ってみてもいいんじゃないか、 との意見で、
私もそうかな、と感じてウォーレンコーチと一緒にテネシーに
行くことに決めました。

でも、全米で一番強いゴルフ部から、これからゼロから作りはじめるゴルフ部へ
の転入は、はっきり言ってすごく不安でした。これも縁かな・・・
と思うしかありませんでした。

こうして、大学2年目からイーストテネシー州立大学のゴルフ部一期生として
転入しました。学年は1年生です。オクラホマでレッドシャツだったので
テネシーではあと4年間部活ができます。授業に関して言えば、
この4年間で残り3年分の単位をとればよくなったので非常に精神的に楽に
なりました。

<1年生>

1年生の時は、はじめゴルフ部はウォーレンコーチと私だけでした。
さびしー・・・。徐々にWalk Onの部員も集めて
なんとか5人の部員を集めて試合に出る体制は整えましたが
たいした成績は残せず。これも仕方ありませんでした。
誰も知らないテネシーで、私はウォーレンコーチだけが頼りで
とにかく、ゴルフと学業にひたすら没頭するしかありませんでした。

そのかわり、授業とその合間に試合に出るというカレッジ生活のリズムを
つくるにはちょうどいい一年間でした。
この頃になると、英語も随分と話せるようになり、授業の内容もなんとか
ついていけるようになりました。と言ってもまだまだ勉強しないと
あのNCAAルールがありましたので油断はできませんでした。

テネシーの印象は日本みたいなところで、四季もあり、
山が多く、すごく情緒的な場所でした。
オクラホマもかなり田舎でしたが、イーストテネシー州立大学のある
ジョンソンシティーも負けず劣らずの田舎。
大学全体でも外国人が1%しかいないという環境でした。
そんなところで、アジア人の私は非常に珍しい存在だったようで
レストランでひとり食事を取っていたら、変な人間がいるぞ、とばかりに
私の姿をのぞきにアメリカ人がぞろぞろ・・・。まるで動物園のサル状態。

でも、差別のようなものは全くありませんでした。
みんな親切でした。
今思えば、この日本語が全く話せない状況に身を置いて、
その後4年間 テネシーで過ごしたことが、いやでも英語が話せるようになった
一番の要因だったと思います。有難いことでした。

1年目は寮生活をしました。スカラシップ生だけの寮がありました。
野球部のアメリカ人がルームメイトです。
とてもいいヤツでした。

スカラシップ生は授業料、寮費、その他大学で必要な費用はすべて
大学が出してくれました。

<2年生>

=REXの第1次黄金時代のはじまり=

ウォーレンコーチのリクルート活動の甲斐もあり
ゴルフの上手い部員も数人獲得。チームとしても強さを増してきました。
中でも、ボビー・ゲイジはうまかったです。現在もネイションワイドツアーに
参戦しています。私の親友となりました。

そして、ゴルフ部復活2年目にしてサザンコンファレンス(リーグ戦)の優勝!
これは快挙です!コーチと大喜びをしたのを覚えています。
ゴルフ部としてはトントン拍子の成長です。

コーチも私とボビーを中心にチームを構成してくれていたので
勉強の部分で色んな人が協力してくれて、授業も融通がきき、
皆に力になってもらってゴルフにも力がはいりました。

アマチュアの試合でも、テネシーアマチュア選手権で優勝。

<3年生>

この年、はじめてNCAA(全米学生ゴルフ選手権)にチーム参加しました。
この試合は全米の大学ゴルフ部のうち30チームが参加できます。

復活3年目のゴルフ部にとっては、NCAAへの出場は快挙でした。
この年は、他の大学ではフィル・ミケルソン、ロバート・ガメス、
デイビット・トムス、クリス・ディマルコ、デイビッド・デュバルなどの
選手が出場していました。私も彼らとこのNCAAの試合を通じて
知り合うことになりました。

個人戦では10位に入賞。チーム戦では11位。
はじめてにしては上出来です。
私はこの個人戦での成績がよかったので、翌年の日米親善大学ゴルフ選手権の
アメリカ代表に選ばれることになりました。

そして、何よりも嬉しい知らせがこのとき舞い込みました。
なんと、オールアメリカンに私が選ばれたのです!!
オールアメリカンとは、学生がゴルフをしていたら誰もが夢見るものです。
全米のトップ学生ゴルファーへの仲間入りです。

これはNCAAの試合で上位20名に入れば自動的に選出されます。他の選出方法は
全米大学ゴルファーの中から、大学ゴルフ部コーチが投票で選出します。
毎年30~40人が選ばれます。
とにかく、めっちゃめちゃ嬉しかったです。
私自身にとっては、あのアメリカの大学に入学する困難のかずかずから
思い返せば、本当に快挙です。
これでますますゴルフの勢いは加速されました。

大学にいる間は、特にスイングコーチもつけず、
もっぱら我流のスタイルを貫いていました。
スイングはまあまあだったとは思いますが、
タイミングが変則タイミングだったと思います。
スイングのことはチームメイトとあーでもない、こーでもないと
議論をよくしていました。

<4年生>

4年生になると授業の単位も残りがわずかになり
勉強のプレッシャーも随分なくなりました。
ゴルフ部としてはちょっと不調の年でしたが
私個人的には絶好調です。

この年に、日本から何人かのアマチュア学生ゴルファーが
アメリカのアマチュアの試合に挑戦しに来ました。
川岸良兼くん、手嶋多一くんにもこのとき初めて会いました。
何試合か一緒に試合に出ているうちに、手島くんとは親しくなり
我が大学へ勧誘。妙な縁?で手島くんは私の後輩になりました。
私が卒業するまで約1年間、彼が私のルームメイトとなりました。
彼は2年ほどテネシーにいて日本に帰国したんだと思います。

私は引き続き絶好調で、コンファレンスでの個人優勝、
ライスプランターアマチュア選手権でも当時アメリカアマチュアゴルフ界の
帝王ジェイ・シーゲルをプレーオフで破り優勝。
NCAAでは残念ながらチームとしては出場できませんでしたが
個人の部で出場し、30位ぐらいだったと思います。
この年も、コーチの投票によりオールアメリカンに選出されました。

この年の私にとっての一大イベントは日米親善大学ゴルフ選手権でした。
アメリカ代表として日本へ久々の帰国。
会場は千葉の習志野カントリークラブでした。
日本からは丸山茂樹、桑原克典らがいました。

日本人なのにアメリカ代表として出場することは
複雑な心境でしたが、大変な思いをした数年間のことを
思うと、大学最後の年にそのアメリカの代表に選ばれたのは
本当に嬉しかったです。自然とゴルフにも力が入りました。
試合もアメリカチームの勝利、そして、個人戦でもMVPをゲット。

さらに、ゴルフ絶好調の勢いが続きます。
夏休み中に、日本アマチュア選手権に出場しました。
三重県の桑名カントリー倶楽部で試合はありました。
調子さえいつもどおりなら勝てると思って試合に臨みんでいました。
結果は、日本アマ史上最長の8ホールプレーオフで木村憲明さんに
やっとこさ勝利。日本での大きな試合での初勝利はとにかく嬉しかったです。

<全英オープンへの挑戦>

さらに、その足で全英オープンへの挑戦です。
その当時はアマチュアのハンディがよければファイナル予選から
出場できました。よく覚えていませんが、その時の私のハンディはプラス6
で出場しました。

最終予選はレディーバンクGCというところであったと思います。
無事予選を通過し、本戦出場が決まった時は嬉しいのとドキドキ
ちょっと怖いのと複雑な気持ちでした。

本戦会場はあのセントアンドリュース。
レールロードで有名なあの17番をプレーできるんだと
わくわくしたのを覚えています。

練習ラウンドは、クリス・パットン(アマ)とベルンハルト・ランガーと
一緒でした。ランガーはとても物静かな人でした。
ゴルフの勢いは怖いです。ランガーと一緒にラウンドしても
プロでもこんなものか、そんなに脅威じゃないなー、なんて
本気で思っていました。絶好調のゴルフのときってこんなものです。
勢いのあるプレーヤーはみんなこんな感じで他の選手を感じるものです。

セントアンドリュースのクラブハウスでクリス・パットンと一緒に
ビールを飲みながら、選手しか入れないハウス内に飾られている
トロフィーや何やらゴルフの歴史を物語るような品々を見て、
「やっぱり俺達は全英にでるんだな」と
しみじみとその瞬間を味わっていました。

初日はスタートが午後3時ごろ。午前中は快晴だったのが
イギリスの典型的な天気です。午後になると一気に強風と悪天候。
午前をプレーしていたニック・ファルドが66でラウンドを終了していましたが
午後の組はみんな苦労のゴルフ。私は77で初日終了だったと思います。
2日目は72でプレーしましたが、残念ながら予選落ち。
決勝には進めませんでしたが、とても気持ちが高ぶった参戦でした。

こうして、大学4年生はゴルフ絶好調の、文字通り私の黄金時代でした^^。

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