第5話 プロ転向~ヨーロピアンツアー参戦

<プロに転向>

そろそろ大学卒業。
高校生のころはプロゴルファーになりたいという思いが
けっこうあったのを覚えていますが、アメリカの大学に入学後、
勉強を初めてして、 ゴルフ以外にもいろいろと面白いものがあるんだな、
と思い始めていました。

特に3年生から専攻科目を決めなくてはいけなくなって、なぜか経営学を専攻。
すると、ビジネスもなかなか面白いと興味が沸き、このころから
プロゴルファーになるという気持ちは薄れていました。

ところが、4年の時に日本アマチュア選手権に勝ってから、
まわりからプロテストを受けたほうがいいよという声も増えて
流されるように卒業後日本のプロテストを受験し、合格。

同時にヨネックスと所属契約をしてプロとしての活動が始まりました。
でも、やはり私の行動の拠点地はアメリカ。
その後はプロとしてアメリカのミニツアーを転戦しました。
そして、アメリカツアーのテストを初受験。
が、失敗。

私の心の中では今日本に帰るのはいやだという気持ちがあって、
翌年、ヨーロッパツアーのテストも受験しました。
すると、最終予選会まで進んで、残念ながらフル出場の資格は取れませんでしたが
テンポラリーメンバーの資格がとれたのです。
ということで、それから2年間、ヨーロッパツアーとその2部ツアーのチャレンジツアーに
参戦することになりました。

<ヨーロッパツアー参戦>

ヨーロッパを転戦するのはこれが初めて。
全英オープンでイギリスに行ったことがあるだけでした。

この頃から、兄ちゃん(マッシー)のマネージメント会社でお世話になり始めました。
プロになると、試合に出るための手続きのこととか、移動や宿泊先の手配とか
とにかくゴルフ以外にも自己管理しなければならないことがいっぱい。
マネージャーの方たちに日本から色々と援助していただきました。

テンポラリーメンバーということで8試合ほど出場。

ウーズナムは私が好きなプレーヤーの一人ですが、
スコティッシュオープン(スコットランド)で同組になりました。
とにかくカッコイイ。ホテルでウーズナムを見るときは
必ずビールを片手に持っていました。相当飲むのかもしれません。
ウーズナムは前週優勝をしていたので絶好調。
でもとても疲れていたのでしょうか、あるホールで3組くらい詰まっていて
待たされていたとき、ウーズナムの頭がガクン・・・。
よく見るといびきをかいて寝ていました^^;。

ニック・ファルドとはヨーロピアンオープン(イギリス)で一緒になりました。
このときはライダーカップの前だったこともあり、ファルドは手抜き気味??
ここのコースはフェアウエイをはずすとヒースというモジャモジャの葉の長い草が
いっぱいあるのですが、そこにボールが入るとアンプレアブルするか、
50ヤードくらいを出すのがやっとという状況。
ファルドはそこにはいると必ずアンプレアブルをしていました。
きっとライダーカップに向けて手を怪我したくなかったのでしょう。
それに、ドライバーショットも私のほうがなぜかいつも飛んでいました。
それも15ヤードも。きっとセーブしていたのでしょう。

モンテカルロオープンという試合がありました。
フランスのチョッと南にある小さな国です。
F1のモンテカルログランプリで有名なところです。
このときは古いお城みたいな、お化けが出そうなところに宿泊。
あまりにも部屋が広くて夜はこわくて熟睡できませんでした。
でも、ゴルフは絶好調で最終日65でまわって15位くらいでフィニッシュ。

大学時代のチームメイトにアイルランド人がいて私ととても気が合いました。
なぜか、私はアイルランド人と縁があるようで、大学での試合でも
アイルランド人の選手とやけに親しくなり、そのつながりで気がつくと
アイルランド人の友人がいっぱい。ヨーロッパツアーに行っても
普段の食事はアイルランド人たちと一緒ということが多かったです。

キャディは私のアイルランド人の友人の紹介でイギリス人のまじめなおじさんを
ずっと雇っていました。

レギュラーの試合の合間に、チャレンジツアーを転戦。
スコットランドやイギリス、スウェーデンなどでありました。
チャレンジツアーではトップ5に何度か入って良かったです。
レギュラーは15~20位のあたりをうろうろとしていました。

ヨーロッパツアーの選手の特徴は、みんな球が低いということです。
私はそれを見ていて、自分も低い球を打ちたくなりました。
そして、低い球を打つ研究をしました。
いつの間にかその低い球でコースを攻略することが
当たり前になっていきました。また、それが自分のプレースタイルと
けっこう合っていたようです。

オフの間は、カナダツアーに参戦。
とにかく、プレーすることが嬉しくてゴルフができるところだったら
どこへでも行きたいという気持ちでした。
試合のない週が続くと、どこかでゴルフができないかと探していました。
オーストラリアツアーも数試合参戦しました。
勢いと言うか、若いと言うか、ものすごいエネルギーが
湧き出ていたんでしょうね。

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