第3話 大学時代―オクラホマ州立大学

<生まれてはじめての勉強>

私はオクラホマ州立大学付属の英語学校に入学することになりました。
そこで1年間みっちり英語の勉強です。
どうしてもTOEFLで合格点がいります。

幸い、オクラホマ州立大学には、伊藤佳子さんが在学していらっしゃいました。
佳子さんは慶応大学から、やはりアメリカの大学のゴルフ部のコーチから
リクルートされて、オクラホマ州立大学のゴルフ部に転入されていたのです。
現在は皆さんもご存知の通りプロゴルファーとしてご活躍していらっしゃいます。

私は佳子さんから英語を教えてもらったり、
大学生活のことでいろいろとお世話になったり
はじめてのアメリカ生活をする私にとって、
佳子さんは天使のお姉さまのような存在でした。
本当にたくさんのことを助けてもらいました。

英語学校の1年間は、とにかく英語、英語、英語・・・
ゴルフなんてやっている暇がありません。
するとしても、たまーにひとりでこそっと練習するくらいでした。
でも、私にはTOEFLに受からないといけないという絶対目標がありましたから
本当に必死で勉強しました。

そのおかげで、英語学校入学後8ヵ月目にして
やっとTOEFLの合格点がとることができました。
しかし、時すでに遅し・・・。

私がなかなか英語の合格点をとれないので、ゴルフ部のホルダーコーチも
その年に私を奨学金制度で受け入れることは断念。
でも、大学に入学できるようにはなったので、Walk Onの部員として
特別にゴルフ部への入部を許可してくれました。

(アメリカの大学のゴルフ部はほとんどがコーチのリクルートによる
奨学金制度を利用した部員で構成されているのが普通です。
今回の私のように奨学金制度以外で入部するーWalk Onと言うーのは
めったにいません。)

そして、晴れてオクラホマ州立大学生活が始まりました。
これで、ゴルフにもまた没頭できるな。

ところがです。

ゴルフ部のそのときの方針が1年生は全員試合に出さないというものでした。
こちらでは部員でも試合に出ないと、部員として活動していないとみなされます。
(そんな部員のことをレッドシャツという。)
レッドシャツの部員はその次の年から4年間試合に出場する権利は与えられます。
私はこのレッドシャツの立場でした。

こちらの大学では4年間で卒業をするという感覚はありません。
だいたい5年から6年間かけて卒業への計画を立てます。
勉強もやり、部活もやりでは4年間では卒業は難しいです。
中には授業料を稼ぐために1年間大学を休んでビジネスや
バイト生活という人もいます。

オクラホマ州立大学のゴルフ部は伝統があって、
全米チャンピオンになるほどの 最強チームでした。
その時いた部員に、スコット・バークランプ、ブライアン・ワッツ、
マイケル・ブラッドリー、ジェフ・マガード、イージェイ・フィスターなどの
上手い選手が勢ぞろい。1年生の部員がはいる余地がありません。
何度かレギュラー選考会で上位にはいりましたが、やはり1年生は
試合に出させてくれませんでした。コーチの方針なので仕方ありません。
とりあえず、黙々と練習はしていました。
でも試合に出られないのはちょっと 物足りませんでした。

カレッジライフの大部分はやはり授業です。
英語学校に行ったと言っても、いきなりすべてが英語の授業は
やっぱりきついです。さっぱりわかりません。
晴れて大学に入ったのはいいですが、この授業が想像以上に大変です。
何を血迷ったか、私は哲学の授業を選択してしまい、
それはそれは死ぬ思いをしました。外国で哲学を取るのはタブーです。
とにかく、先生が何を言っているのかがわかるにはまだ当分時間が
かかりそうでした。

さらに私が焦ったことは、こちらのゴルフ部では大学の授業である合格点を
クリアーしないと部活動ができないシステムがありました。

なんだよ、それは・・・。

NCAA(全米体育協会)のルールで、
GPA(great point average)という授業の4段階評価の
平均点を2.5点以上とらないと部活をさせてくれないという
ものです。英語が???の私にはこの2.5点もけっして簡単では
ありませんでした。必死で勉強するしかありません。

こんな状況だったので、とにかく最初の1年間はほとんど図書館で過ごしていました。
ゴルフクラブよりも英語の辞書と向き合っている時間のほうが
はるかに長い生活を送りました。
生まれて初めて勉強というものをした1年でした。

第4話へ